【読書メモ】迷走する両立支援 ~その6:第六章:すれちがう両立支援
こんばんわ~寒いです。あぁ寒いです。
本日2回目の更新、さてどこまで書けるか??チャレーンジ!
『迷走する両立支援 いま、子どもをもって働くということ』
萩原久美子著、太郎次郎社エディタス、2006/7/20初版
6章からは、第三部に入ります。いよいよ(?)本題な気のする、第三部のはじまりはじまり~。。
6章に関しては、メモもたくさんです。途中で怒ったりもしています、メモの中で。。(笑)
第三部 両立のゆくえ
<第6章 すれちがう両立支援 --少子化と男女共同参画と>
6章を読み始めてすぐ、こうメモっていました。
- 6章、いよいよ本題かな??
6章の最初の細目がいきなり「いらだつ母親たち」ですもん。。こわい。
- P206, 両立支援が注目され、その制度が格段に充実しながらもなお、多くの働く母親は、両立支援の風が吹いている手ごたえがないまま、「どこか、ちぐはぐだ」といらだちを募らせている。そのいらだちをうみだすものは、なんなのだろうか。
ほんと、なんなんだろう。。
そしてその次の細目は「育児休業取得率と残業」ですよ。。はぁ~。。
- P209~210, 子どもと接する時間をきりつめ、がむしゃらに残業をして昇進・昇格し、なお残業に追われる管理職としての姿。もうひとつは、マネジメントを経験することなく、部下ももたず、ひたすら日常業務を時間内できりもりする「女性社員」としての姿。
なんでこの二つしか選択肢がないんだろう。もっとバラエティ豊かな働き方があってもいいはずなのに。
でもほんと、自分の未来を見るようで恐ろしいです。。あーぁ。。なんか明るい未来とは思えないなぁ(どちらのパターンになったとしても)。
- P212, 連日の残業と、リストラをちらつかせた成果主義。仕事の内容や時間配分を見直すこともなく、オフィスの電気を消すことで残業を抑制するやり方。職場は与えられたノルマをこなすために、電気スタンドまでもちこんで、抜け道を探す。そんな働き方をのりこえて昇進しても、「成果主義」と「リストラ」が隣り合わせの気を抜けない競争が待ち受ける。
- P213, (もういい、と退職し、パートとして再就職した亜由美さん、ほぼフルタイムで同様な仕事だが給料は激減、ひきかえに子どもたちとの日常生活が戻ってきた) だが、かつて勤めていた会社が「家庭にやさしい企業」「女性活躍企業」の一事例として新聞や雑誌に紹介されているのを見ると、言いようもない挫折感がよみがえり、落ちこむ。「それなら、どうして私はここにいるの?私がいま、パートで働いているのはなぜなの?」
- P213, 亜由美さんの再就職体験をとりだして、企業戦士ひしめく職場に見切りをつけ、「自分らしい生き方」をめざした働く母親の姿や、収入よりも豊かな生活時間を求める「ダウンシフト」の潮流を語ることもできるだろう。
- P213, でも、それは事後の読みかえにすぎない。事実としてあるのは、亜由美さんが正社員として働き続けることを求めながら、それが、女性活用に熱心で「ファミリー・フレンドリー」な制度をもつ企業でもなお、結果的に達成できなかったことにある。
なんか悔しい気持ちになります。とても。どうも食い違っている。
「車の両輪」
- P214~, 両立支援と女性活用はどんな関係にあるか。
- P214, 日本の研究者のあいだでは、両立支援と男女雇用機会の均等施策は、「ファミリー・フレンドリー企業」や「ワーク・ライフ・バランス」を促進するうえでの「車の両輪」にたとえられることが多い。
しかし、ですよ。。
- P215, 両立支援と均等推進をつなぐ回路が、職場に決定的に欠けている。ワーク・ライフ・バランスの目標を根本で阻害するものへの鈍感さ、ともいえる。
車の両輪なのに、つながってなかったら意味ないじゃん。。なんでなんだ?と思って読み進めると、タテ割り政策の影響や、両立支援と均等推進のそれぞれに対する表彰がうまく機能していない実態などが描かれています。
そして諸外国の事例へと。
スウェーデンやノルウェー、イギリスなど、充実した制度がありますが、社会のなりたちなどが異なるため、単純に日本の制度との優劣を論じることはできません。
が、そもそもそれ以前に、日本との決定的な違いがあります。
- P226, 日本との決定的な違い。これらの国ぐにには雇用上の男女平等に関する強力な法律があり、日本にはない。
これってなんか絶望的な気分になりますよ。。
- P231, 間接差別について。「雇用管理区分」「採用区分」に苦しめられてきた女性たちが求めてやまなかったのが、間接差別の禁止。間接差別とは、一見、男女に中立的にみえる制度や基準が、結果的に一方の性に不利益な効果をもたらすことをいう。(例:家族手当や住宅手当は男性世帯主が受け取る。一般職、総合職、パート、正社員などの雇用管理区分の違いによる賃金や待遇差。転勤の有無による賃金や昇進・昇格の差。)
- P232, 私の仕事が十分でないからか、それとも子どもがいるからか?
とても分かりにくいから、悩んでしまいそうだ。。
- P232, 雇用上の男女差別への国の規制はなお弱く、雇用上の男女平等の確固たる土台に結びつけて両立支援を進める発想へと、ストレートに展開していかない。
少子化対策としての両立支援??
- P239, 雇用上の男女平等という切り口からはだめでも、少子化という切り口からは、国も企業も両立支援の義務化をすんなりと進めていく。これはいったい、どういうことなのだろう。
- P239, 「女性が産まない」ことを出発点に職場の両立支援が展開されるのと、「女性は働く」ことを前提に職場の両立支援が展開されるのとでは、その結果も意味も異なる。
もう、次のメモ達、ほんとタメイキでしたよ。。
- P241, 女性が働き続けることを困難にする問題点を、企業・職場そのものが、かたちを変えながらうみだしているにもかかわらず、職場はそのことを正面から直視しなかった。国の規制もおよばなかった。
- P241, それは繰り返し、女性個人の問題として返され、こう言われてきた。「女性には家事・育児があるから」「女性は結婚し、出産するから」。まるで、女性に生まれた以上、必然的に抱えざるを得ない問題かのように。
- P241, 職場のありようがうみだした矛盾にもかかわらず、社会は、働くことを選択した母親個人が抱える問題かのように、「両立の悩み」とよんできた。そんな問題のたて方は一方で、男性の働き方も苦しくし、家族やたいせつにしたい人との暮らしの喜びを奪い、過労死や大量の自殺へと追いこんでいった。
問題の根は深い、と改めて思ってしまいました。。
ワーク・ライフの読みかえ
- P242~, ワーク・ライフのよみかえ。はらたってきた。
ほら、怒っています。。メモとりながら、わたくし。。
- P242, 日本ではなぜか、読みかえがおきる。欧米がその考え方の前提においている雇用上の男女差別へのきびしい規制には正面から取り組まないまま、ファミリー・フレンドリー企業やワーク・ライフ・バランスという言葉が受けとめられつつある。
- P242, 2005年版『少子化社会白書』は、欧米でのワーク・ライフ・バランスなど、両立支援、子育て家庭への経済的支援策を「児童・家庭政策としての少子化対策」として紹介している。しかし、出生率に対する政策スタンスとして、「国は介入しない」とするドイツ、イタリア、スウェーデン、イギリス、アメリカでは、少子化対策として両立支援に取り組んでいるわけではない。日本と同様、出生率を「回復させる」としたフランスでも、「少子化対策」という概念はなく、「家族政策」だ。同白書はそのことを明記しつつ、なお「海外の少子化対策」として、章立てをする。
→なんかほんま腹立つ。なんなのその作為。
怒ってます。。しかも、さらに、この次の記述。
- P243, 日本の企業は両立支援をどうしても、職場がうみだしている格差とはからめたくない。 →!!!
なんだそりゃ!!(激怒)
- P243, 国もそこには強い姿勢で臨まない。日本でいま進む両立支援も、いつしか従業員の生産性をあげることじたいが目的化され、格差を前提とした、企業のための「ワーク・ライフ・バランス」に陥らない保証はどこにもないのだ。
- P243, 「均等推進と両立支援という二つの車輪」。だが、日本では雇用上の男女平等という土台は脆弱で、両輪の一方とされる「均等」の車輪はあまりにも小さく弱い。しかも、その車輪はいともたやすく別のものに交換されてしまう。両立支援と少子化対策、あるいは両立支援と企業の生産性という形で。
・・なんだかなぁ〜・・
企業(雇用側) VS 個人(被雇用者)、という対立にならざるを得ないのでしょうか?しかも一方的に、被雇用者が搾取されてる感が満載。。
そして最後のメモがこちらです。
- ふうふう。両立支援、ようやく6章まで読んだ。ヤマ場だらけでほんと疲れる本だ…
というわけで、嘆いたり怒ったりで大変つかれた第6章でありました。でもほんと、特にみっしり詰まっている章だと感じます。
次はいよいよ最終章、第7章です。
本日はここまで~さいなら~