【読書メモ】迷走する両立支援 ~読後直後の感想など
こんばんは、小さき人は、人生初の発熱と戦っております。寝ています。いまのところインフルではないとのこと。
日中、基本的には元気でしたが、いつもと調子が違うからか、ゴキゲンはナナメになりがち、やはり不快そうです。
無事に熱が下がることを祈りつつ、ブログ書いてみます。
ながなが書いてきた読書メモも、最後です。こんどこそ。
『迷走する両立支援 いま、子どもをもって働くということ』
萩原久美子著、太郎次郎社エディタス、2006/7/20初版
ほんとうに重い本でした。。読了したときのメモがこちら。
- - 2012年1月31日 火曜日 23:16
両立支援:ついに読了…涙が…なんかほんまツライ。でもきっと、答えはなくても、続けていくことに意味があるんだろうと思う。まずは目の前のことから。みんながもがきながら歩んできた、それが道となって、今につながっているわけだから。
いやぁ、なんか涙でしたよ。。
読むのもつらかったし、これからの自分自身のことを想像してしまうのもつらかった。
それでも、単なる「重い」だけではない、すごい本だった、と、ずっしり感じていました。
- - 2012年1月31日 火曜日 23:27
両立支援:復職前にこの本を読んでおいてよかった。何かと落ち込みがちな自分やから、育児休業あけに待ち受ける事柄に、ある程度、心の準備ができた気がする。しかも長期的な視点を持つことの大切さも実感。ほんとに長い長い戦いがあって、ここまで多くの人達が両立で悩み、それでもまたまだという事実。
ね、いちおう、前向きになっている様子です。
私にとっては、読んでる時期が育休中というのもあって、タイミング的にピッタリだったのかもしれません。
それにしてもしんどい本だったから、復職前でよかったです(おちこみがちな私の場合、特に・・)。
そして、こういうメモも。
- - 2012年1月31日 火曜日 23:30
両立支援:Twitterもデカイ。ワーキングマザー&ファザー達のつぶやき、いろいろな知識の蓄積。何より、みんなの姿が見えること、ひとりじゃないと思えること。苦しんでる姿も、育児を楽しんでる姿も。
私はTwitterでこんな風にワーキングマザー&ファザーのつぶやきを読んだりするようになるとは、まったく想像していませんでした。
始めた当初は、「Twitterって何がおもろいんやろ??つぶやくっていってもなぁ。。とりあえずランニングとかのアプリ連携して記録代わりにしとこ、まぁ基本はいろいろな人とかニュースとかをROMってることになりそうやわぁ」くらいにしか思っておりませんでした。
それが、ワーキングマザー&ファザーさん達の存在を知ってから、おぉぉ、みんないろいろつぶやいていらっしゃる!と面白くて、勉強になるわぁ~、などなど、ちょこちょこやりとりなんかもさせてもらったりするようになりました。
いやぁ~、予想外です。
そして、これからが私のワーキングマザーの始まり。。!
きっと落ち込みまくることウケアイなので、そんなときは、Twitter上のみなさんの奮闘ぶりに勇気をもらったりすることと思います。
いやなことがあっても、それをつぶやくことで、後進の人々に役立ててもらえたり、勇気づけることができたりするわけですよ!
これまでつぶやいてくださっていたみなさま、そしてこの本との出会いをくださった電子書籍を出版してくださったみなさま、ほんとありがとうございます!
なかなか変わらない現状であっても、いろいろなことが少しずつ、後ろへつながっていく、そんな感じで徐々にでも良くなっていったらいいなぁ。。
私も、ほそぼそとでも、つぶやいてみたり、ブログ書いてみたり、続けていけたらいいなぁと思います。
きっと復帰後は超どたばたでしょうけども!!
最後に感想のまとめとして、読書メーターに記録したものを載せて、今回のシメといたします。
- 目次を読むだけで疲れる、厳しい現実を突きつけられる本。復職前にこの本を読んでおいてよかった。育児休業あけに待ち受ける事柄に、ある程度、心の準備ができた気がする。しかも長期的な視点を持つことの大切さも実感。ほんとに長い長い戦いがあって、ここまで多くの人達が両立で悩み、それでもまたまだという事実。ツライ。でもきっと、答えはなくても、続けていくことに意味があるんだろうと思う。まずは目の前のことからかなぁ。みんながもがきながら歩んできた、それが道となって、今につながっているわけだから。
ここまでブログをお読みいただいた方、ほんとにありがとうございました!!
ではではまた~(ここからの方向性は未定ですけども!)
☆オマケ:
- - 2012年1月31日 火曜日 23:32
はてなブログをはじめるにはどうしたらよいのだろ
・・これがブログ始めのきっかけメモでありまーす☆
【読書メモ】迷走する両立支援 ~その7:第七章:子どもをもち、働くということ
こんにちは、おひさしぶりです。
育休あけ前の最後のチャンスだ、と妹達の家や旧友などを訪ねて歩いて参りました。復帰したら、まず機会も余裕もないだろうし。。はふー。
そして帰宅、保育園の内定通知が!
とりあえず、ようやく決まって一安心です。
これで本格的に、仕事復帰への動きになっていきますね。。こわーいよぅ。。
これから始まる両立ドタバタ生活を見据えつつ、残り少ない休みの日々も、何とか満喫したいです。
そしてそして、この本も、とうとう最終章!
『迷走する両立支援 いま、子どもをもって働くということ』
萩原久美子著、太郎次郎社エディタス、2006/7/20初版
<第7章 子どもをもち、働くということ --沈黙と格差を超えて>
第7章の冒頭、”「迷惑をかけない」ワーキングマザーとして” という細目から始まります。しょっぱなからイヤな予感はしてたんですよね~。。
育児休業復職予定者を対象にした、復職支援セミナーを受けたという方の事例が紹介されています。
時間に追われる生活の乗りきり方や保育所のこと、仕事のペース配分など、育児休業から復職した先輩や同僚が体験を語り、情報交換をする、というもの。
もちろんとても参考になることばかりだと思うのですが、(実際、私も、いまいま不安に思っていることばかりです)
育児休業取得経験があり、職場では数少ない女性管理職からの話として、心構えを次のように語られたと言います。
- P246, 「両立でたいへんだ、その気持ちはわかりますが、たいへん、たいへんと職場でふれまわる職員は困ります。あくまでも一職員として能力を発揮してもらいたい。職場はそうみています」
はい、そうですよね、わかります、でも。。
- P247, 育児休業後から始まる両立の生活にむけ、保育所の準備、残業時の保育といった協力態勢の準備もしてきた。かかりつけの医師を見つけ、子どもの健康管理にも目配りしてきた。そうやって手を打っても、これからさき、なにがあるかはわからない。さまざまなことがあるだろう。時間に追われる生活に、自分自身が疲れきってしまうかもしれない。そのとき、どうすればいいのか。職場になんと相談すればいいのか。職場にはどんな用意があるのか。復職まえの不安はそこにある。
まさに!そうだよ、その不安なんですよ。。
- P247, なのに、なぜ、体験者がわざわざ先まわりして、復職者に対して口封じするようなことを言うのだろう。
!!!!!ほんとその通りだよ!!!!!
- P247, 彼女が意図しないにしろ、その言葉にこめられたのは「まずは黙って一人前の仕事をせよ」というメッセージに聞こえた。
- P248, 体験者が「私もしんどかったけれど、グチも言わず、がんばってきたのよ」と言えば、その人の体験が全員にあてはまるわけでもないのに、そのアドバイスはひとり歩きする。
- P248, 体験者と情報交換をして、復職にそなえる機会をもつのはいいアイデアだと思ったが、これではワーキングマザーのための両立支援というよりも、職場のために「迷惑をかけないワーキングマザー」の心構えを問われただけのことではないか。
- P248, セミナーに参加して◯◯さんが得たのは、「職場で子どものことを自分からは、絶対に話さないでおこう」ということだけだった。
!!! はー、そうなるよね。。
なんだかブルーになりまくりです。
そしてお次はこちら。
- P251, 出産まえには、IT技術や語学力などをいかして働いていた女性たちだった。職場復帰したら海外出張からはずされたまま、何年たっても、上司からは「子どもがいるから働けない」と厄介者あつかいをされる。
ふえー! なんか場面が浮かびすぎて、おそろしすぎる。。あーぁ。。
- P251, 地道に仕事をしようが、無理をして残業をひきうけようが、からまわりするだけの職場との両立に疲れ、彼女たちの同僚にはやめた人もいる。
両立支援が進み、新聞や雑誌で紹介されるような成功体験も増えていき、働く母親への何らかの激励やヒントにはなるかもしれない、だが、すべての体験や事情は同じではない。
なのに両立についてのアンケート調査は毎度毎度かわらない、とも書かれています。
- P252, 両立に関して不満の多い回答結果から、多くの調査はその要因として、「男は仕事、女は家事・育児という性別役割り分業意識」や「仕事優先の職場風土」を指摘する。そして、処方箋は「利用しやすい制度」や「意識を変えること」に落ち着く。制度が一定の拘束性をもって効果をあげることは期待できるし、意識啓発にも一定の効果はあるだろう。でも、回答者が「両立しにくい職場」と感じていることが、なぜか一足飛びに「意識」や「風土」に着地してしまい、そのあいだでなにがおきているのかがいっこうに見えてこない
- P253, 企業も労働組合もおこたっているのは、「男は仕事、女は家事・育児という性別役割分業意識」や「仕事優先の職場風土」をうみだす仕組みに目をむけることだ。
意識や風土って、形のないものだからとても難しいと感じるのですが、でも、確かにありますよね。
そして意識や風土って、影響もデカイ。
- P253, そもそも、その意識や風土は、職場のなにが、だれが、どんなふうにつくりだしているものなのか。それは職場や仕事でどのように表れ、一人ひとりになにをもたらしているのか。彼女たちはそれをどういう体験として感じているのか。そんな、根本で、働く人のあいだに不当な格差や不平等をうみだす仕組みに目をむけることだ。
うーん。。ほんと難しいなぁ。。
そして次の細目は、”男性の育児休業取得への期待と女性の憂鬱” です。
- P254, 日本の男性の子育て時間の短さ、家庭における父親不在の状況のなかで、育児の責任が母親の肩に重くのしかかっている現状がある。育児休業の取得が女性に偏っているため、育児休業取得につきまとうキャリアロス、所得ロス、業務知識ロスの影響が女性に集中する。
- P258, 男性は短期、女性は長期。このままでは、男性はキャリアや所得、業務上のダメージをさほどうけずに、短期間の取得で「子育て熱心なお父さん」として賞賛を浴び、女性は「子育てに協力的で、理解のある夫」をもつ妻といわれながら、残りの取得期間をひきうけ、キャリアや所得、業務上のダメージをかぶることになる。
うーむ。 ただし現状、育児休業が短期間になってしまう男性はかわいそうとも思います。男性がちやほやされがちな現象(現時点での現象)は、女性の育児休業取得に関しても、最初は同様だったのではないか。あくまでまだ初期だから、では?
当たり前のように(以前に比べると)、女性が育児休業を取得するようになったのと同様に、男性も、当たり前のように育児休業を取得する、そんな時代は遠くないと私は考えているのです、願望も込みで。
結局、男性だからとか女性だからとか、そういうのにとらわれたくないよ、ほんと。。
- P272, 男女や年齢にかかわらず、働く人はみな介護や育児などの責任を抱え、また、抱える可能性があるという前提にたった働き方を原則とする発想がみえてこない。
ですよねですよね。育児に限らない、いろんな事情が出てくる、いろんな人がいる。多様な働き方ができてこそ、真のワーク・ライフ・バランス(またはワーク・ライフ・インテグレーション)なのでは?
- P275, 育児休業という「休業」を資格取得やスキルアップの時期と位置づける傾向も強くなっている。「休業中であっても、仕事への前向きな姿勢ややる気を忘れない。女性が働きつづけるには、一方で、こうした姿勢も求められる」と語るのを聞くと、休日でも在宅で仕事をこなし、夜遅くまで残業する働き方を「やる気」として評価する発想とどう違うのかと思ってしまう。
なんだそりゃ! 「やる気」至上主義とか、ほんまイヤ! うぉー!!
- P275, さっきの!ほんまイヤ!
メモにも二度、書いています。相当イヤだったらしい。。
順序は逆になりますが、他にも下記の数々の気になる記載がありました。
- P264, 両立支援へのアクセス格差。正社員として働く母親の減少と、非正規雇用で働く母親の増加。その流れを少子化対策の両立支援の側面からとらえたとき、「いったい、だれに産んでほしいのか」という皮肉な疑問すらもたざるをえない。
雇用状況がこれほど劇的に変わるとは、だれも予測できなかったのかも、とも思います。不況の影響などいろいろ不確定なものもありますし。
それにしても、ターゲットが見えないまま、両立支援策をおしすすめても、うまくいかないですよね。。
他の観点で、こんなメモも。
- P260, 「3年」について。そうだったのかーが色々。 ← 保育や幼児教育関係者からの声「三歳未満児の保育単価は高いうえ、この時期の子どもの育ちに保育が適切だとは思えない」「この時期は、子どもを預けるのではなく、親が育てられるように、育児休業を三年にしてほしい」
「育児休業を3年にしてほしい」は私も同じようなことを思っていたです。。実際のところ、どうするのがいいのかなぁ。。正解なんてないのかもですが。
- P260, 発言者の真意ではないとしても、育児休業取得を保育予算抑制の方法や、母性への情感をともなう育児責任に結びつけることは問題ではないか。
- P261, 乳幼児期の教育のたいせつさはいうまでもないことだが、これがさきの市民集会で語られたような文脈のなかで過度に強調されれば、「子どもが一歳になるまで」「三歳になるまで」というかたちで設計された育児休業制度は、簡単に、保育予算の抑制論理をともないながらの親、とくに母親のあるべき育児という文脈に入りこんでいく。
しかも、そもそも、がありました。
- P261,そもそも! → 日本の育児休業制度の出発点は、1965年に全電通(現NTT労組)が協約化した「育児休職」に求められる。だが、その制度発想は「子どもが一歳になるまで、三歳になるまで、母親が休まなければ、仕事も育児もできないから」ではなかった。根幹には、この時期おしよせた電話交換手のリストラという事態に対し、「休むことで要員を確保する」という雇用分配の発想があった。加えて、都市部での決定的な保育所不足を背景に、当時、保育所入所の要件だった「三歳」にいたるまでをどうしのぐかにあった。女性が働き続けることを保障するうえでの過渡的な橋渡し、段階的な取り組みとしてうちだされたもの
・・へぇ!そうだったんですね!
制度の成り立ちもいまや知る人は少ないのでは??
加えて、いつのまにかいろいろ(三歳児神話とか)混じってしまっているような感じですね。。
他にも、
- P277, 共働きの母親と専業主婦の母親。公的支援の不公平性が焦点化されていく。
・・まだまだいろんな観点での問題がある・・
第7章の結びのあたりは、こうです。
- P284, 国や企業のうちだす個々の両立支援が、塊となっていまの社会のなかに落としこまれたとき、それは一人ひとりにどんなかたちになって現れ、この社会をどこへ導こうとしているのか。それはどんな社会なのか。そこでの問いは「両立支援はどこまで進んだか」ではなく、「両立支援はだれのための、なんのためのものなのか」であり、私たちはほんとうに幸せかという問いにある。
そして、
- P285, 自分が培ってきた能力を発揮し、生活とよべるだけの経済的基盤をもち、大切にしたい人との関係をはぐくみ、暮らしの喜びを実感する。それを性別に関係なく、いま働いている人に、また、再就職などをめざす人すべてに保障する。「個人の責任」のみに返すことなく、職場や家庭、地域でその思いを共有する。
- P285, そんな社会を完全に実現した国は世界にはない。それがいくら遠く非現実的な目標であろうと、この世界的な課題に私たちも挑んでいる。そしてもし、世界に先駆けて達成しえたならーー。いま、悩み、苦しんだとしても、それは十分、価値のある挑戦ではないか。
そしてそして、<結びにかえて>の最後の文章。。
- P294, 一九九九年から二〇〇五年。その間の働く母親の姿を追ったこの本が十年後、「昔はたいへんだったんだね」とふりかえられるような時代が来ることを心から願う。
今も10年前とあまり変わってないやん、と徒労も感じるけど、それだけではない。なかなか状況が変わるのは難しいけど、少しずつでも前に進んでると信じて、みんな日々を過ごしているんだろうな。。
これにて、各章のメモは終わりです。お付き合いありがとうございました。
あとは、読了直後の感想とかがちょこちょこ。これも記事にするかも?かも?
ではでは~
【読書メモ】迷走する両立支援 ~その6:第六章:すれちがう両立支援
こんばんわ~寒いです。あぁ寒いです。
本日2回目の更新、さてどこまで書けるか??チャレーンジ!
『迷走する両立支援 いま、子どもをもって働くということ』
萩原久美子著、太郎次郎社エディタス、2006/7/20初版
6章からは、第三部に入ります。いよいよ(?)本題な気のする、第三部のはじまりはじまり~。。
6章に関しては、メモもたくさんです。途中で怒ったりもしています、メモの中で。。(笑)
第三部 両立のゆくえ
<第6章 すれちがう両立支援 --少子化と男女共同参画と>
6章を読み始めてすぐ、こうメモっていました。
- 6章、いよいよ本題かな??
6章の最初の細目がいきなり「いらだつ母親たち」ですもん。。こわい。
- P206, 両立支援が注目され、その制度が格段に充実しながらもなお、多くの働く母親は、両立支援の風が吹いている手ごたえがないまま、「どこか、ちぐはぐだ」といらだちを募らせている。そのいらだちをうみだすものは、なんなのだろうか。
ほんと、なんなんだろう。。
そしてその次の細目は「育児休業取得率と残業」ですよ。。はぁ~。。
- P209~210, 子どもと接する時間をきりつめ、がむしゃらに残業をして昇進・昇格し、なお残業に追われる管理職としての姿。もうひとつは、マネジメントを経験することなく、部下ももたず、ひたすら日常業務を時間内できりもりする「女性社員」としての姿。
なんでこの二つしか選択肢がないんだろう。もっとバラエティ豊かな働き方があってもいいはずなのに。
でもほんと、自分の未来を見るようで恐ろしいです。。あーぁ。。なんか明るい未来とは思えないなぁ(どちらのパターンになったとしても)。
- P212, 連日の残業と、リストラをちらつかせた成果主義。仕事の内容や時間配分を見直すこともなく、オフィスの電気を消すことで残業を抑制するやり方。職場は与えられたノルマをこなすために、電気スタンドまでもちこんで、抜け道を探す。そんな働き方をのりこえて昇進しても、「成果主義」と「リストラ」が隣り合わせの気を抜けない競争が待ち受ける。
- P213, (もういい、と退職し、パートとして再就職した亜由美さん、ほぼフルタイムで同様な仕事だが給料は激減、ひきかえに子どもたちとの日常生活が戻ってきた) だが、かつて勤めていた会社が「家庭にやさしい企業」「女性活躍企業」の一事例として新聞や雑誌に紹介されているのを見ると、言いようもない挫折感がよみがえり、落ちこむ。「それなら、どうして私はここにいるの?私がいま、パートで働いているのはなぜなの?」
- P213, 亜由美さんの再就職体験をとりだして、企業戦士ひしめく職場に見切りをつけ、「自分らしい生き方」をめざした働く母親の姿や、収入よりも豊かな生活時間を求める「ダウンシフト」の潮流を語ることもできるだろう。
- P213, でも、それは事後の読みかえにすぎない。事実としてあるのは、亜由美さんが正社員として働き続けることを求めながら、それが、女性活用に熱心で「ファミリー・フレンドリー」な制度をもつ企業でもなお、結果的に達成できなかったことにある。
なんか悔しい気持ちになります。とても。どうも食い違っている。
「車の両輪」
- P214~, 両立支援と女性活用はどんな関係にあるか。
- P214, 日本の研究者のあいだでは、両立支援と男女雇用機会の均等施策は、「ファミリー・フレンドリー企業」や「ワーク・ライフ・バランス」を促進するうえでの「車の両輪」にたとえられることが多い。
しかし、ですよ。。
- P215, 両立支援と均等推進をつなぐ回路が、職場に決定的に欠けている。ワーク・ライフ・バランスの目標を根本で阻害するものへの鈍感さ、ともいえる。
車の両輪なのに、つながってなかったら意味ないじゃん。。なんでなんだ?と思って読み進めると、タテ割り政策の影響や、両立支援と均等推進のそれぞれに対する表彰がうまく機能していない実態などが描かれています。
そして諸外国の事例へと。
スウェーデンやノルウェー、イギリスなど、充実した制度がありますが、社会のなりたちなどが異なるため、単純に日本の制度との優劣を論じることはできません。
が、そもそもそれ以前に、日本との決定的な違いがあります。
- P226, 日本との決定的な違い。これらの国ぐにには雇用上の男女平等に関する強力な法律があり、日本にはない。
これってなんか絶望的な気分になりますよ。。
- P231, 間接差別について。「雇用管理区分」「採用区分」に苦しめられてきた女性たちが求めてやまなかったのが、間接差別の禁止。間接差別とは、一見、男女に中立的にみえる制度や基準が、結果的に一方の性に不利益な効果をもたらすことをいう。(例:家族手当や住宅手当は男性世帯主が受け取る。一般職、総合職、パート、正社員などの雇用管理区分の違いによる賃金や待遇差。転勤の有無による賃金や昇進・昇格の差。)
- P232, 私の仕事が十分でないからか、それとも子どもがいるからか?
とても分かりにくいから、悩んでしまいそうだ。。
- P232, 雇用上の男女差別への国の規制はなお弱く、雇用上の男女平等の確固たる土台に結びつけて両立支援を進める発想へと、ストレートに展開していかない。
少子化対策としての両立支援??
- P239, 雇用上の男女平等という切り口からはだめでも、少子化という切り口からは、国も企業も両立支援の義務化をすんなりと進めていく。これはいったい、どういうことなのだろう。
- P239, 「女性が産まない」ことを出発点に職場の両立支援が展開されるのと、「女性は働く」ことを前提に職場の両立支援が展開されるのとでは、その結果も意味も異なる。
もう、次のメモ達、ほんとタメイキでしたよ。。
- P241, 女性が働き続けることを困難にする問題点を、企業・職場そのものが、かたちを変えながらうみだしているにもかかわらず、職場はそのことを正面から直視しなかった。国の規制もおよばなかった。
- P241, それは繰り返し、女性個人の問題として返され、こう言われてきた。「女性には家事・育児があるから」「女性は結婚し、出産するから」。まるで、女性に生まれた以上、必然的に抱えざるを得ない問題かのように。
- P241, 職場のありようがうみだした矛盾にもかかわらず、社会は、働くことを選択した母親個人が抱える問題かのように、「両立の悩み」とよんできた。そんな問題のたて方は一方で、男性の働き方も苦しくし、家族やたいせつにしたい人との暮らしの喜びを奪い、過労死や大量の自殺へと追いこんでいった。
問題の根は深い、と改めて思ってしまいました。。
ワーク・ライフの読みかえ
- P242~, ワーク・ライフのよみかえ。はらたってきた。
ほら、怒っています。。メモとりながら、わたくし。。
- P242, 日本ではなぜか、読みかえがおきる。欧米がその考え方の前提においている雇用上の男女差別へのきびしい規制には正面から取り組まないまま、ファミリー・フレンドリー企業やワーク・ライフ・バランスという言葉が受けとめられつつある。
- P242, 2005年版『少子化社会白書』は、欧米でのワーク・ライフ・バランスなど、両立支援、子育て家庭への経済的支援策を「児童・家庭政策としての少子化対策」として紹介している。しかし、出生率に対する政策スタンスとして、「国は介入しない」とするドイツ、イタリア、スウェーデン、イギリス、アメリカでは、少子化対策として両立支援に取り組んでいるわけではない。日本と同様、出生率を「回復させる」としたフランスでも、「少子化対策」という概念はなく、「家族政策」だ。同白書はそのことを明記しつつ、なお「海外の少子化対策」として、章立てをする。
→なんかほんま腹立つ。なんなのその作為。
怒ってます。。しかも、さらに、この次の記述。
- P243, 日本の企業は両立支援をどうしても、職場がうみだしている格差とはからめたくない。 →!!!
なんだそりゃ!!(激怒)
- P243, 国もそこには強い姿勢で臨まない。日本でいま進む両立支援も、いつしか従業員の生産性をあげることじたいが目的化され、格差を前提とした、企業のための「ワーク・ライフ・バランス」に陥らない保証はどこにもないのだ。
- P243, 「均等推進と両立支援という二つの車輪」。だが、日本では雇用上の男女平等という土台は脆弱で、両輪の一方とされる「均等」の車輪はあまりにも小さく弱い。しかも、その車輪はいともたやすく別のものに交換されてしまう。両立支援と少子化対策、あるいは両立支援と企業の生産性という形で。
・・なんだかなぁ〜・・
企業(雇用側) VS 個人(被雇用者)、という対立にならざるを得ないのでしょうか?しかも一方的に、被雇用者が搾取されてる感が満載。。
そして最後のメモがこちらです。
- ふうふう。両立支援、ようやく6章まで読んだ。ヤマ場だらけでほんと疲れる本だ…
というわけで、嘆いたり怒ったりで大変つかれた第6章でありました。でもほんと、特にみっしり詰まっている章だと感じます。
次はいよいよ最終章、第7章です。
本日はここまで~さいなら~
【読書メモ】迷走する両立支援 ~その5:第五章:ワーク・ライフ・バランス
こんにちは。今日も寒いですね。なんだかしんしんと冷えます。
でも昨日よりはマシかな~。立春は過ぎたわけですし、徐々に春へと向かうハズ?ですよね?
そうは言っても、昨日は雪もチラチラしていたし、風も激しくて、自転車の母子ごとフラフラと思わぬ方向へと動かされて恐ろしかったですよ。
さて、読書メモの続きです。
『迷走する両立支援 いま、子どもをもって働くということ』
萩原久美子著、太郎次郎社エディタス、2006/7/20初版
第5章はひきつづき、アメリカの事例です。
<第5章 ワーク・ライフ・バランス --アメリカの光と影>
第4章は割と「うまくいっている事例」だったのに対し、第5章では、「光と影」として、負の面も取り上げられています。
「別格」の社員しか利用できない支援プログラム、年収による福利厚生の格差、保育の未整備、待機児童の増加、保育未整備への対応としての資格外就労の外国人ナニー、犯罪から子どもを守るためという意味での保育充実、FMLA(家族医療休暇法)有給化運動。。などなど。。
さまざまな「光と影」を取り上げています。
印象的だったのはこちら。
- P164, 職場での特権・優先権をちらつかされれば、「成果をださなくてはならない」という必要以上のプレッシャーがかかる。両立の生活をのりきる手段をめぐってくり広げられるのは、柔軟な働き方を手に入れるための長時間労働であり、ノルマの達成だ。
→『柔軟な働き方を手に入れるための長時間労働』って。。なんか間違っていませんか。。
これはアメリカに限ったことではないのかもしれませんが、どうも、「何かを得るために」必死にならざるを得なくて、それだけで手いっぱいになってしまう、本当の目的に達する前に疲弊しきってしまう、なんてことがあるような気がします。
第5章を通じて、最後に感想としてメモっていたのがこちら。
- アメリカも大変だ。でもたくましく、柔軟。
うまくバランスを保とうとしても、なかなか一筋縄ではいかない、でもたくましく柔軟に取り組もうとしている様子が、アメリカの強さだなぁと感じた、というところでしょうか。
第5章はわりとあっさりでしたね。
次はいよいよ、本題(?!)と思われる第6章、日本の状況に戻ります。
【読書メモ】迷走する両立支援 ~その4:第四章:「両立支援」とはなにか
ども、これがかの有名な三日坊主か?とのニオイを漂わせつつ、そうはさせじと書きに参りましたヨ~。
少なくともこの本の感想を最後まで書くまでは!がむばる所存です!
・・ブログって、書きたいことをつらつら書いたつもりでも、後から、あーもっとこう書けば良かった、とか、このことは失念してた、とかなんだかんだ気になってしまう。ブログというより、文章そのものについて、ですね。
ほんとに書きたいこと、発信したい相手、いろいろちゃんとターゲットを絞って書けば、納得のいくものになるんだろうけどな。
まぁもともと、自分の中だけで完結させてしまおうとしてた読書メモを、何の因果か、ブログを開設しちゃったわけで。なかなか「ちゃんとした」ものになんてならなくて当たり前なんですけどね。
しかし、ありがたいことにTwitter経由などで読んでくださる方がいて、反応も返してくださる。これってほんますごいことやわぁ。。
だって、自分の中だけで完結してたら、本文引用の箇条書きメモのみで終わったものであって、自分でも明確に「どんな感想を抱いたか」を、認識できてなかったかもしれないのです。わかったつもりだったのに、わかっていなかった、自分自身の感想。そして、反応を頂くことで、また別のことを考えたり。
アウトプットしてみて生まれること、ってあるんだなぁ、と改めて実感。いまさらですみません。
前置きが長くなっちゃいました、ひきつづき、この本です。
『迷走する両立支援 いま、子どもをもって働くということ』
萩原久美子著、太郎次郎社エディタス、2006/7/20初版
第4章からは、『第二部 アメリカの模索』に入ります。
<第4章 「両立支援」とはなにか --経営戦略、多様な家族観、性差別禁止>
ひとまず、第4章を読み始めての感想がこちら。
- P116, アメリカの事例は明るくなる。
こういう感想を持つのは、第3章との対比が激しかったのもあると思います。
もちろんこの本は、「アメリカ素晴らしい」とアメリカの事例をもろ手をあげて褒めたり、単純に「アメリカ見習え」と主張したりするわけではありません。
それでも、実際に「いいな」と思える事例がたくさんあることは、少なくとも、「こういう方向もアリなんだな」と思えて、何らかの希望になるのではないかなぁと感じました。
第4章の冒頭、住宅金融機関「ファニー・メイ」社の事例が挙げられています。従業員約四千人、働く母親にとって働きやすい企業を毎年選ぶ、ワーキングマザー誌の「ベスト100リスト」のトップテンにつねに名を連ねる企業だそうです。
企業内託児所や病児保育サービス、保育サービス購入券など保育関連のサービスだけでなく、介護に関する支援も充実しているとのこと。
- P116, 「こうしたコンサルタントなどには、年間17万ドル以上の経費がかかります。でも、これがなければ社員の生産性は格段に落ちてしまう。これら一連のワークライフプログラムを導入する以前は、欠勤・遅刻・離職などによって年間数十億ドルにものぼる損失をだしてきたという試算もあります。企業としては当然の取り組みなのです」(ファニー・メイ社 人事担当のジュディス・デイルさん)
- P117, 企業が、育児や介護など、社員の家庭の事情を前提とした労務管理や支援制度を導入することによって、その社員が働きやすくなるばかりでなく、企業にとっても生産性向上に結びつく。利益を追求するからこそ、企業は社員の両立支援をおこない、それによって社員も両立を謳歌する働き方ができる。まさに一挙両得といえるファミリー・フレンドリー企業の取り組み。
読んでいくうち、「どうやって制度として成り立たせているんだろう」と疑問がわきます。すると、
- P119, 「同じ内容の制度をすべての職場に一律に適用すると、その職場の現実にあわないことがある。方向性や基本的な制度の枠組みをトップダウンでしめしたあとは、職場の状況にあわせて、制度を組み合わせ、工夫をおこなう。その方がうまくいくケースが多い。」
トップダウンか!なんか意外!
- P119, 「がっちりとした制度に希望者をあてはめるのではなく、希望者こそが新しい制度のアイデアをもちこんでくれる面もある」
日本でなかなか「柔軟な制度」が発達していかないのは、がっちりした制度の枠組みがあると、楽だからかも。一見、楽。ほんとはそれぞれの事情に合わせて工夫ができる方が、助かるのに。でも「自分で工夫しろ」、と言われると、困難に感じてしまう。。もしかしたら、そんな「制度への甘え」があるのかもしれない、と感じてしまいました。ついつい楽な方がウレシイと感じてしまう弱い自分。。
- P120, ファニーメイ社、1997から。全社アンケート、社員への聞きとり、職場調査をつみかせね、そのニーズとともに、欠勤や離職などによる経営へのダメージを試算し、制度を整備していった。
- P120, 制度導入それじたいやその利用率を上げることを目標にするのではなく、従業員の職場や生活の満足度と生産性をともに上げることを目的に、プログラムをたえず投資効率からチェックする。企業経営の合理性にもとづく徹底的な職場調査、そこからうみだされた制度、投資効率からの検証、という成功のサイクルがみえてくる。
やっぱり、地道な調査や検証の積み重ねが必須なんですね。
そうは言っても、そもそもの大前提がありました。
- P121, 同一労働同一賃金、同一価値労働同一賃金。
アメリカの企業では、ひとりひとりに明確な職務が割り当てられていて、それに基づいて成果が評価される。同じ仕事をしていれば賃金も同じという「同一労働同一賃金」から、さらに、職種が違ってもその仕事の価値が同じであれば賃金も同じでしかるべきという「同一価値労働同一賃金」の実現の方策も模索されている、とのこと。
ここは日本との大きな違いであります。うーん、、厳しい現実。
- P122, 国が企業に対して、いっせいに法律で網をかけ、従業員への両立支援の取り組みや特定の制度導入を強力に方向づけるということもしていない。そのことが企業に合理的で工夫をこらした両立支援を自由に発想させ、その実践が企業間競争の勝ちぬきのツール、経営戦略となっている側面がある
アメリカならでは、と感じました。日本はトップダウンじゃないと制度導入もままならない。
ただ、アメリカの場合も、企業内ではまずトップダウン、て書いてあった(柔軟な制度活用の例において)ので、なんでもかんでもトップダウンorボトムアップ、というわけではないんですよね。そりゃそうか。
- P124, 両立ストレスの少ない職場づくりへの工夫は、いかにコストをかけず、生産性を上げていくかという経営課題への挑戦であり、その模索や実績は企業の革新性を体現するものとして評価される。
そもそも、取り組み姿勢として、「経営課題への挑戦として取り組む」、て、本気で日本企業は考えているのかなぁ。
- P145, ワーク・ライフ・インテグレーション(統合)。仕事か家庭か、の両天秤を迫る「バランス」からの脱却。家庭と仕事の関係を「一人の人間の生活」として統合されたひとつのものとしてとらえる。
家庭も仕事も、実は切り離せないものなんだし、「統合」という概念は「バランス」よりもいいなぁ。どちらか一方をとるとどちらかはダメ、とかではなくて、絡み合っているからこそ、トータルでの満足感を上げていく方向、かな。
そもそもアメリカと日本を単純比較はできないし、むしろ公的支援は不備が多いアメリカ。だからこそ企業がしのぎを削って独自性を発揮し、制度を整えていく。それも、利用できる人は限られた「優秀な人」という面もあったり。。
すべてがバラ色ではないにしても、少なくとも、積極的な姿勢で取り組んでいる(ように見える)アメリカの事例は、やはり、参考になる点が多い、と感じました。
ふぅふぅ。
ひとまず第4章はこれにて。
【読書メモ】迷走する両立支援 ~その3:第三章:働く親は「市民」になれるか
どうもこんばんわ。寒すぎです。日本全国、ブルブル震えてますね。
昼寝というか夕寝というか、おかしな時間に寝た小さき人の夜の寝かしつけもなんとか終わり、奇跡的に母ちゃんはまだ起きてられてるので、ちょちょいと更新してみます。
『迷走する両立支援 いま、子どもをもって働くということ』
萩原久美子著、太郎次郎社エディタス、2006/7/20初版
いい加減、なんか本のリンク貼ろうよという気もしますが、まぁとりあえず。
さて第三章です。あっさりしか書けない予感。。
<第3章 働く親は「市民」になれるか --親のニーズと保育所再編>
第三章は保育所再編、民営化などの記載です。
具体的な都市として、広島県府中や東京都練馬区の実例が細かく記述され、その他にも全国各地の民営化(もしくは民営化への動き)に関する、自治体と親との攻防(攻防というのか・・うーむ)が挙げられています。
市民である親に対して、自治体からの保育所統廃合や保育民営化に関する説明が不十分であるとか、住民の声が届かないであるとか、なんだかこれまたしんどい事例ばかり。
「役所の人」も、人の親だったりすると思うんだけどなぁ。。(素朴な疑問です)
保育に関しては、幼保園だとか総合こども園だとか、最近もいろいろとホットな話題かとは思うのですが、そしてまさに待機児童問題に切実なものを(すぐそこに)感じている立場なのですが、正直、よく分かっていません。今後の方向性とか、どうあるべきなのかとか。。当事者なのに、そんなのではイカンと思うのですけどね。。
ツイッター上でも、いろいろな議論がなされていて、みなさんすごいなぁと思ってしまう、その感想こそ、またも当事者意識が欠けている、と反省はするものの、なかなかそこから進まない自分。
- 3章の保育所民営化関連の記述を読んでると、どんどん暗くなる…とりあえず腹筋でもするかな…
私が第三章に関してメモったのはたったこれだけ。。はーお恥ずかしい。
でも、とにかく暗くなりました。(重いとか暗いとか、そんなんばっかですみません)
保育所に入りたい、入らないと働けない、子どもに少しでも良い保育や環境を与えたい、自治体側の財政状況や国の方針など事情もある、だれもだれかの不利益を望んでいるわけではない(たぶん)。
どこかねじれたままの保育民営化への流れが、怖いなぁと思います。
が、そもそも、当事者でありながらよく理解しようとしていない私のような親が増えているとしたら、当事者としてもっと声を挙げていかないといけない、ということなのかなぁ。あぁすみません。。
「市民になる」ってどういうことだろう。。ぼーっと暮らしててすみません。。
とりあえず、なかなか保育所が決まらない不安とマッチしすぎて、これまた暗くなった第三章でした。
(つづく)
【読書メモ】迷走する両立支援 ~その2:第二章:夫と妻と子育てと
こんにちは。今日は雪の予報でしたが、大阪は降らず。いや、少し降ったのかな?くらいな感じです。(昼過ぎ時点)
それより、ものすっごい風で、公園で遊ぶ小さい人は飛んでいきそうだった(ほんとほんと)ですよ。
寒風ふきすさぶ公園 → 昼ごはん、で眠そうだった人を寝かしつけようとしたら、母ちゃんが一人で寝そうだったです。何の罠だ!
さて。つづきつづき。
『迷走する両立支援 いま、子どもをもって働くということ』
萩原久美子著、太郎次郎社エディタス、2006/7/20初版
今日は第二章。
あ、その前に、いまさらですが全体の章立てを確認しておきたいと思います。全体構成というか。
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はじめに
1 彼女たちのいるところ
第一章 育児休業、その後 --退職へと誘われる母親
第二章 夫と妻と子育てと --ジレンマの在りか
第三章 働く親は「市民」になれるか --親のニーズと保育所再編
2 アメリカの模索
第四章 「両立支援」とはなにか --経営戦略、多様な家族観、性差別禁止
第五章 ワーク・ライフ・バランス --アメリカの光と影
3 両立のゆくえ
第六章 すれちがう両立支援 --少子化と男女共同参画と
第七章 子どもをもち、働くということ --沈黙と格差を超えて
結びにかえて
参考文献
あとがき
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・・とりあえずべた書きですんません。HTMLでテーブル組んで、とかした方がいいのかなぁ。trタグ?tdタグ?忘れました(遠い目・・)
ほんとは、「目次を読むだけで疲れる」内容として、各章のさらに細目を列挙したいんですけどね。それはさすがに、ということで一例をば。
第二章の細目はこんな感じ。↓↓↓
- 「夫はなにをひきうけてくれるんでしょうか」/やさしさと愛情の代償
- 夫の転勤/「いやだとは言えなかった」/夫の単身赴任が妻につきつけるもの
- 「夫の背中を見送りながら、ずるいと思う」/夫の「育児」、妻の「育児」
- 夫婦がむきあうということ/子どものいる暮らしへの助走
- 「母親は家に」というお約束/家事・育児をしない夫が失うもの
・・はぁ~、ためいきが。。ここらへんは、どっちかというと妻より夫側にグサっとくるタイトルかなぁ。。グサッときてほしい、というか(?!)。
私がツイッター上で出会ったパパさん達は、むしろ積極的に育児参加されている方ばかりですし、つぶやいているママさんの夫さんも、推し量るに、協力的な方が多いように感じます。
でもやっぱり、会社人としての現実というか、特に出世とかが絡むと、男女の格差が如実にあらわれる気がします。
第二章で言えば、たとえばこんな記述。
- P53, 悲しい現実だが、男性の昇進・昇格が優先される現状では、組織の流れからはずれた男性は、女性よりも失うものが大きい。「将来的に失う給与の額は私の方が小さいんだ」と自分を納得させた。だからいまは、育児の責任は自分がひきうけよう。だが、「私がひきうけた現実に対し、いったい、夫は私のなにをひきうけてくれるのか」
うーむ重い。。重いな~。。
もろもろ他の事情や感情もあって、自分でも納得の上、ひきうけているハズなんだけど、でもなんとなくもやもやする感じ。
育児だけでなく家事全般にも、共働きにおける分担の話とか、よく耳にする気がします。
まぁ家事分担の話は、いろんな問題が根底にある気がして、ほんと難しいなと思うんですが。妻側の「やってあげたい」思想(?)とかね。なんか幻想を持ってるのかもしれない。よき母&よき妻(なんだろそれ)幻想?・・すみません、ちょっと話題がそれました・・
まぁそうは言っても私自身、仕事や出世に関しての考え方も変化してきている気がするんですが。
第二章、もやもやしながら読んだにも関わらず、メモったのは2つだけで、も一つがこちら。
- P56, あらかじめ女性に不利な職場の競争を入社以来、目の当たりにしながら、みずからのキャリアの将来と夫のキャリアの将来とを天秤にかけつつ、自分を納得させる。出産、育児休業、その後の育児で失われるものは、私より夫のほうが大きいのだ、と。
キャリアとかって、昔はほんまいろいろ考えまくったわぁ・・(遠い目)・・
ほんとは今も、むしろこれからも考えないといけない、考え続けないといけないテーマだとも思うのですが、なんとなく、ちょっと気分的に落ち着いてしまっているかも。
出産するとけっこう考え方も変わるよ、と言われたこともありますが、それってあるかも。あと育休中なのも関係してるかも?
子育てっていろんなことがあって、ある意味、ひとつの転換点ですよね。
父母になる、という点では、同様に転換点を迎えているわけですし、別に母親だからキャリアをあっさり手放しやすい気分になる、てわけではないけど。
なんとなくですが、育児で一緒にいることがより多い母親は、ぐぐっと変わる可能性も高くなるのかも。(あくまでなんとなくですが)
第二章で取り上げられている事例としては、 キャリアを手放さざるをえない母親のいらだちがメインですし、
実際、手放していなくても、両立のための負担(育児に関するさまざまなマネジメント)が母親メインになっていて、なだれを食い止めているのは母親である、と結ばれています。
夫婦のありかたや家族のありかたは、ほんとそれぞれなので、これまた一概には言えない問題だと思いますけどね。。
うーん、今回、なんかあまり本文を引用できていませんが、たぶん、第二章の細目を引用したことで、満足した気がする。うん。
実際には、ほんとこれまた重い事例が満載の第二章です。
育児をしたい、その思いは父も母も同じ。
仕事をしたい、その思いも父も母も同じ。
だとしたら、もっとうまくいく方法はないのかなぁ、とまたも悶々とする、そんな感じで次章以降へとつづく。。