azucho's diary

読書メモや、育児記録、ワークライフバランスについてのあれこれなどを書いています。だだもれ系です。

夏は広島

夏は広島。夏休みは常に広島の祖父母の家で過ごした。母方の実家である。

 

三姉妹は小学生。夏休みの宿題と、自由研究と、ピアノの練習(同居している伯母が元音楽の先生で、ピアノを持ち込んでいた。グランドピアノとアップライトピアノの2台があった)が日課。合間に掃除をしたり家事を手伝ったり、祖母の話し相手をしたり。

 

朝はラジオ体操で始まる。たたき起こすのは伯父。元物理教師の伯父は、独特のユーモアを持っており、笑わせてくるのがすごく楽しかった。だがしかし、それは私たち姪っ子たちがたまに遊びに来るからこそ発揮されるものであり、日常の伯父が大体不機嫌そうだったことも覚えている。

 

身体が不自由な祖母。リウマチである。その在宅介護は主に祖父と伯父によって行われ、ただでさえ無口な祖父はますます無口であったが、祖母への愛情は子どもながらに常に感じていた。
祖父はガンコを絵に描いたような人で、旧国鉄でそれなりの役職の仕事をしていたはずだが上司と喧嘩して辞めたという経歴を持つ。本が好きで、祖父の本棚にはさまざまな書籍が並び、とてもワクワクした。俳句を詠む人で、ガリ版刷りの句集を作っていた。私は祖父の詠む俳句がとても好きだった。タバコと酒を愛す人でもあり、おつかいでタバコを買いに行かされた時にお釣りを間違えて帰ってきてこっぴどく叱られたことを思い出す。「蔵に入れるぞ!」が口癖で、大体が不機嫌で怒っていた。こわいじいちゃん。でも骨のある人なんだろうなと思ってたんだと思う。

 

朝イチのラジオ体操が終わると、廊下の拭き掃除をする。三姉妹で並んで雑巾がけをするのはゲームみたいで楽しかった。まだ小さないとこ達が食べこぼしをするので、食卓の床には新聞紙が敷かれており、それを取り替えたりもしていた。

 

掃除の後はピアノ練習。きっとその前に朝ご飯を食べていたと思うがそのあたりの記憶は薄い。
ピアノ練習は祖母に「こんなに上手になったよ」と定期的に聴かせることができる、という実感があった。

 

祖母はかつて広島市内で爆心地近くで原爆に被爆した経験を持つ。女学生だった。たまたまその瞬間に、おつかいで来ていた銀行の頑丈な石造りの建物の中にいたため無傷で助かった。だがその目で見たものは地獄なんてものでは表せなかったと思う。
被爆と直接関係は無いものの、おそらく若いころからの過労がたたって、老年期にリウマチを患う。手足が思うように動かなくなり、寝たきりの生活。食事の時は車いすに乗り込み(乗り移らせてもらって)食卓に向かうが、自分ではなかなかスプーンなどの操作ができず、介助が必要だった。トイレも同様で、簡易トイレをリビングに置いてすぐ対応できるようにしていた。

「情けないのぅ~」というのが祖母の口癖であった。自らの身体を思うように動かせないもどかしさ、介助してもらわざるを得ない身の置き所のなさ、それでも愚痴は言うまいとしていたように傍から見ていると感じていた。矜持のようなもの。静かな明るさを保っていた祖母。

被爆当時の話を聞きながら手足のマッサージをし、その内容を小学校の何かの作文に書いて、知事賞?的な何かをもらったことがある。夏休みに帰省するたびに、百人一首の練習や都道府県の名産物を覚える自由研究をするかたわらの孫たちにマッサージをしてもらうのが楽しみ、みたいな祖母だった。

夏休みの宿題はさっさと終わらせ、伯父伯母の蔵書である漫画を読むのも楽しみの一つだった。はだしのゲンエースをねらえ!ブラックジャック火の鳥ブッダアドルフに告ぐ、・・・
はだしのゲンは怖くて怖くて、読むと夜が眠れなくなり、窓ガラスに近付かないようにして布団の居場所を取り合いした。人間の弱さ、本質を学んだのははだしのゲンからだと思う。
火の鳥は自分でも揃えて家に置いている。どれも大好きだが、どれももの悲しさが漂う作品だなと子ども心に強く感じていた。
主に伯父の蔵書だったが、小学生の私たちにどんどん読めと開放してくれていたのは今思ってもありがたいことだ。

祖父は、タバコと酒のやりすぎで肺がんになった。入院もしたがほどなく死去。あんなに怖かった祖父だったのにあっさりな最期だった。私が中一の時だった。
本が好きで勉学の大切さも説いていた祖父。大学に進学したよ、と報告したかったな。

夏休みの滞在の最後には、広島のお好み焼きを近所のおばちゃんのお店で買ってきて、家で食べるのが習わしだった。一人ずつ、「そばか、うどんか、ダブル(両方)か」を聞いて回ってカウントする。伯父はダブル。めちゃくちゃボリューム大のやつになる。
私は必ずそばだった。イカ天が入っていて、本当においしかった。近所のおばちゃんのお店で、小さな小さなお店。電話で注文しておいて、取りに行く。家のリビングに宣伝の紙を敷いて(ソースがこぼれるから)、みんなでワイワイ言いながら食べる。あの「最終日の昼」の儀式、だいじだったんだなと改めて思う。おさんどんをメインでしてくれていた伯母にとっても、炊事から解放されるひとときである。

去年の春、伯父が急逝した。すい臓がんだった。急すぎて実感がわかない私たち。葬儀でも、まだきっとそのあたりにいるよ、と話していた。
夏には祖父母と伯父の墓参りを兼ねて、広島に一人旅をした。お好み焼きのおばちゃんのお店は閉まっていた。コロナ禍もあったもんな・・・変わりゆく街並み。
子どもの頃に遊んでいた、伯父がマラソンのトレーニングをしていた、公園は変わらずまだあった。タコの置物遊具も健在だった。
墓参りも、公園も、行く道を「足が覚えている」ことに感動した。そう、ここは私の第二の故郷。深くつながる場所。

長期休暇の思い出は、夏も冬もけっこうツラい。子どもながらにいろんな感情を受け取ってしまってつらかった。早く帰りたかった。冬ほどではないが、夏もつらかった。
自分自身の実家である広島は、実母にとっては安らげる場所だったのだろうか。今となってはわからない。

じぃちゃんにもばぁちゃんにもおじちゃんにも、元気だよと伝えたい。
俳句は私も好きだよ。カーチャン俳句として詠んだりもしてるよ。
キリッとしたばぁちゃんの立ち姿、原爆資料館の前での写真、好きだよ。
ラソン、おじちゃんみたいにストイックには出来てないけど、またぼちぼち走りたいと思ってるよ。

三姉妹それぞれの家を「家庭訪問」として訪ねて回ってくれたこと、なぜかアンコ缶を複数手土産に持ってきてくれたこと、おじちゃんらしいなぁと笑ったこと。
やっぱり行ってしまうには早かったなと思うけど、またそこから見ててね。

祖母の存在とすき焼きと私の複雑な感情:過去との向き合い方

すき焼きにはろくな思い出が無い。

 

子どもの頃の冬休みは、父方の実家に帰省する習わしだったのだが、何が嫌って、

とにかく寒いこと、トイレが外であること(その後、家の中に移設された)、母が祖母や叔母に気を遣いまくって疲れていく様子を見ること(もちろん祖父や叔父にも母は気を遣うのだが、とにかく同性の親戚への気の遣いっぷりは尋常ではなかった、それは家事全般を女性が担うべきという田舎の風習のにおいとセットだったと思う)、出来の良いいとこ達のことを自慢するように見える・かわいがるように見える叔母および祖父母に対するしらけた感情(私たち三姉妹もかなり出来は良い方だったはずだが、自分の子らがかわいいという空気が当たり前のように漂っていて不快だった)、そして何となく不潔な感じがする家全体。布団を干すところから始めるが、ねずみも出てくる布団。嫌すぎる。滞在期間中はひたすら苦痛だった。

 

料理を教えたりもしていた祖母だが、年を取るとともに手が行き届かなくなり、何となく食器も汚れている。食事の前に洗うのだが、きれいになる気がしない。目をつむって食べるしかない、大晦日のすき焼き。よくわからないレシピ。その頃は父が「鍋奉行」的なことをまだやっていたような気がするが、それも本当はやりたくないのをイヤイヤやっているものだから空気が悪い。狭い居間のこたつの上で鍋をかき混ぜ、すき焼きを作る父。ずっと台所に立ったままの母。ドラえもんを観たいのに居間のテレビでは紅白が映されている。子どもだけで2階に上がることを許される年がたまにあり、その時だけは急な階段を必死に登って2階のテレビでドラえもんを観ていた。すき焼きが出来ると呼び戻されるわけだが。

 

まだ妹(料理好き・上手)は料理などの戦力にはなっていなかったように思う。何なら年上のいとこ達もさほど手伝いをしていなかった。せいぜい皿や箸を配る程度。野菜を切ったりといった仕事はひたすら母がやっていた。叔母はやっていない、実家に帰ってきた時くらいのんびりさせてよ的なオーラが漂っていたことを思い出す。じゃあ私の母は何なのか?女中?と感じて腹を立てていた記憶がある。でもそんなこと言えない。

 

いとこ達とは楽しい時間も過ごした。トランプしたり、近くの小さな山に登ったり、年始のお参りに行ったりもした。私よりも年上が二人、年下が一人。いい人達だったとは今も思うが、疎遠になったまま連絡を取りたくはない。

 

すき焼きの嫌なところは、レシピが漠然としていること。最初に何を炒めるのか、どういう順番で具材を入れるのか、漠然としているくせに、何かテキトーにやろうとすると誰かが怒る。そうじゃない、と言うならレシピを教えてくれ。

 

大体、鍋的なものを複数人で作るのも嫌だ。忘年会や職場の飲み会的なもので「鍋」を選択する人の気がしれない。誰かが主となって仕切らなければならないようなものを選択しないでほしい。第一、不特定多数の箸が行き交う(大体結局、直箸になる)のも不潔。コロナで廃れたのかなと思いきや、つい最近も仕事関係の飲み会で鍋がチョイスされていてゲンナリした。

 

すき焼きには私は麩を入れたい。だが麩は「汁を吸うから」と敬遠されがちである。でもあの汁を吸った麩がいいのに、と思いつつ、ダメだと言うならなんで皿に用意されているのだろうか、とずっと子ども心に思っていた。理不尽。直近の帰省のすき焼きでは、無いからと麩をわざわざ買いに行ったにもかかわらず、やはり「汁を吸うからまだダメ」と制される時間が長く、結局、ラスト近くに大量投入されることになり、もうおなかがいっぱいになってほとんど食べられなかった。理不尽。

 

すき焼き自体は好き。牛肉が好きと言うより、ラストの蕎麦が好き。でもすき焼き自体の味が濃いので喉がすごく渇く。大晦日ゆく年くる年を見ながら(当時、面白さは感じていなかった)ひたすらお水を飲んでいた。年越し蕎麦はすき焼きのラストの蕎麦で代替する。すき焼きは大晦日の味。年を越えて、遠くで花火が上がる音がして、そして寝る。とてもとても寒い布団にくるまって寝る。ねずみのことは考えないようにしていた。

 

今年は実家にて父が、母からすき焼きを作るよう促されて明確に「拒否」したので、鍋奉行は妹の夫氏がやってくれた。父の拒否の態度を見てまた怒る母、それももう見たくない。本当に何もしない父。加速する無気力。病気だから、とずっと言い続けてきたがしんどい。薬はもう飲んでいない。何が目指す姿なのかもわからない。数年前に私が「私は今すごく幸せだよ」と伝えたことは覚えているのだろうか。親になってしみじみと、子が幸せでいてくれることを幸せだと感じたから言葉にして伝えたわけだが、今はどう思っているんだろう。

 

母が義実家にて行くたびにひたすら家事をしていたこと、すごくすごく疲れていくのに気を遣うことは決してやめないこと、どんどん母が不機嫌になること、早く帰りたいと自分が代わりに思っていたようにも思う。皿を拭くくらいはもちろん手伝える、だが手が切れそうに冷たい水での皿洗いはずっと母がやっていたように思う。大きくなってからはそれもいとこのお姉ちゃんや妹達とやっていたが、なんで男達はやらないんだろう、と感じていた。

 

風呂も寒い。古いし、入ってもあたたまらない、かえって風邪をひきそう。そして風呂に入る順番も、母は最後でいいと言う。そんなんばっかりやん・・・

年に一度だから?日頃は離れているから?家事も母が全部やって当たり前?
叔父は何も言わない。叔母も知らんぷり。そういう人たちに何も言わない父も嫌だった。気付いてすらいなさそう。それでも父にとってはくつろげる実家だったんだろうか?それも怪しい。結局、父自身も足が遠のいたままだったわけだし。

 

さっさと行くのをやめれば良かったのに。
でもあれば帰らないわけにはいかないのが実家なのだろうか。(母にとっては義実家)
今、私自身が子ども達を連れて実家に帰ることを、子ども達はどう感じているんだろうか。いとこ達と遊ぶ時間を楽しんでいるように見える、おいしいものを食べて、あたたかいところで眠る、楽しい時間であってほしいと願う。

でも私も気を遣っている、実家なのに安らげない。行く前から疲れており、行ってみるとやはり実の母なのに何か嫌なことを言われたりされたりしてゲンナリしている。一刻も早く帰りたいと思いつつ、ひたすら皿を洗い、拭く。日頃はやらない料理だが、少しでも戦力になるようにと包丁を手にして野菜を切ったりもした。妹達との時間、オット氏達との時間、小さいいとこ達が大きくなっていく様子、などは楽しい。でも実家で疲れていく父母を見ていると、帰らない方がいいんじゃないのかとも思うし、何より私自身が疲れる。

 

罪悪感もある。実家なのに。居心地がいいと思えないことへの申し訳なさ、もっと寄りつかないと申し訳ないみたいな感覚。孫を連れていかないといけないのでは、私単独でももっと頻繁に訪ねておかねばならないのではという感覚。
父母ともに「孫大好き」タイプではなかったものの、連れて行けば連れて行ったなりの楽しさが双方(父母と孫)にあるのでは、などと考えてしまう。孫と遊ぶと、無気力な父も気力が湧かも?いやそれは関係なさそう・・・

まぁ考えてもどうしようもないのである。結局、今のやり方以外で出来ることはおそらく無い。これまでやってきたことが悪かったとかも無く、これからもその時々で判断しつつ行動を選択し、やっていくしかない。

なんかどうしても書いておきたくなってこれを一気に書いている。
父方の祖父の思い出はそもそも薄く、父方の祖母は思い出があっても特定の孫だけをかわいがっていたように感じて面白くない。料理など共通の出来事でつながり、なついていたのもその特定の孫なので仕方ないのだろう。私は無理である、料理も出来なかったし、やる気も無かった。家事などの「女の子は○○しなきゃ」という圧がそもそも嫌だった。祖母の当たり前は私の当たり前では無い、と思っていた。
そういえば「妹が生まれるから」と当時の我が家に祖母に手伝いに来てもらったことがあり、その時に「パジャマをたたまない」とかで怒られたことを覚えている。しつけが出来ていない、と思われたんだろうなぁ・・・と漠然と思ったし、自分を通じて母が叱られているようにも感じた。

 

父方の祖母は短歌を作る人であったが、私は俳句が好きである。これは母方の祖父の影響。
母方の祖父母のことはもっと濃い思い出があって、また別の機会に書きたい。

 

祖母はすごい人だったとは思うがやっぱり好きになれない。わざわざそう書きたくなるほど、いろいろ渦巻いている。もういないのに。

ふりかえり2023年

今年も一年のふりかえり、とりあえずメモっただけって感じですが、いってみよー!

 

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<2023年ふりかえり>
2023/1 映画キャンペーンでチビーズと映画を観まくる。映画はいいねぇ。いろいろもっと観たい。

2023/1 チャーチズCHVRCHES のライブに行く!世界の宝や、あの歌声!

2023/2 チビーズがインフルエンザに連続罹患する。通院と検査と投薬の嵐。タミフルありがとう。予防接種ありがとう・・・

2023/3 ペンタトニックスPENTATONIX のライブに行く。一生に一度は生で聴きたかったライブの一つ。エイヤで行って良かった、ハーモニーサイコーすぎた、人間あんなことできるんや、的な驚き。

2023/3 卒業式&卒園式。ついに保育園生活が終了。マジでマジでマジで、3人合わせて11年間、本当にお世話になりました・・・父も母もがんばった( ;∀;)感涙

2023/4 新中1、新小4、新小1。それぞれの進級。新たな生活スタート。

2023/4 礒貝家(旧・礒貝一家=三姉妹+父母)での金沢旅行。

2023/6 ERGカーニバル初開催!ERG=Employee Resource Group、社内の有志活動。より広く、より後押しをしていこう、とイベント開催。 

news.panasonic.com

2023/6 信頼関係スターターキットのリリース。新しい対話の形、ツールとしても使いやすく。

2023/7 米津玄師さんライブ「空想」参加。三姉妹+子の4回目!

2023/8 組織開発ウェブサイト&メールマガジンのリニューアル。より相談につながりやすく。

2023/8 広島一人旅行&墓参り。第二の故郷。

2023/9 書籍『いちばんやさしい「組織開発」のはじめ方』に弊社事例が載る。いずれ単著を出したいよねと思いつつ。 

www.diamond.co.jp

2023/9 鈴鹿サーキットにて初のF1参戦!!!超迫力!!!チビーズも一緒に。

2023/10 スイカゲームにハマる。初スイカ、および、ハロウィンモードでもカボチャ作ってた大喜び。

2023/10 台湾ATD初参加。小籠包激ウマ。人との繋がり出来ました!

2023/10 「衆知を集める」ライトニングトーク、初の対面開催&オンラインのハイブリッド開催。シュークリームを食べながらの対話。

2023/10, 11, 12 事業場支援・チームコーチングの依頼爆増。大忙し。目が回る。

2023/11 スコラ・コンサルト社の記事に弊社事例が掲載される。すごくわかりやすい記事! 

www.scholar.co.jp

2023/11 Spitzライブ「HIMITSU STUDIO」参加。オット氏&我が子&友人と!大好きなあの曲を聴けて感動(´;ω;`)ゴウキュウ

2023/12 「風土改革フェス2023」開催。社内での風土改革フェスとして2年目。ワイワイしながらも深い場をたくさん作ることができた。

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今年の漢字として新年に書いていたのは「吹」でした。

笛を吹くイメージ、踊るイメージ、みんなに踊ってもらうイメージ。どうだったろう・・・

 

組織開発や文化創造の活動は、かなり前に進んでいる気がする。

もちろん簡単にはムーブメントは起きないけれど、少しずつ、反応や実践の声、応援などなどをもらっているし、手応えを感じる。

じわじわとこれからもやっていきたいですね。

 

全般的に体調が悪かった気もする。忙しすぎました・・・

来年も結局、忙しさが加速しそうな予感はしますが・・・

頑張らずにがんばろう・・・

 

今年もいろいろありがとうございました。

来年も引き続きよろしくお願いいたします!

 

Az

ふりかえり2022年

 

2022年ふりかえり


 

■1月:組織開発DAY(対面&オンラインのハイブリッド開催)(組織開発チームの)大西さん送り出し。

 

■2月:新体制3人チームで回し始める。メルマガ、ラジオなども新たなトライ。

 

■3月:初の全社横断ライトニングトーク開催、手応えを感じる。工場の組織開発支援スタート。

 

■4月:事業会社制スタート。新ブランドスローガンの策定プロセスに物申す(社長SNSへのメッセージ投稿)DEI瓦版スタート。さらばガタリラジオ。四字熟語ワークショップスタート。

 

■5月:体調が悪い。組織開発エキスパート養成講座。第2回ライトニングトーク開催。「働き方生き方ラボ」という新ブログを立ち上げる。https://hatarakikata-ikikata-lab.hatenablog.com/entry/HelloWorld?_ga=2.160583997.1295051665.1672289471-166475130.1672289471

 

■6月:体調が悪い。工場の組織開発支援2回目、啓発用の動画撮影も開始。全15回の部課長2400人向けセミナースタート。EWA(え〜わぁ)というステキな取り組みでメッセージを頂く、嬉しい。

 

■7月:夫がコロナになり隔離生活。心身の張り詰めしんどい中での仕事多忙。

 

■8月:第3回ライトニングトーク開催、240名参加。スピンオフ版ライトニングトーク開催。若手女性向けセミナー全6回のスタート、伝えたいことをしっかり伝える。

 

■9月:工場の組織開発支援3回目、啓発動画作成。全15回の部課長向けセミナー無事に終了(長かった…)。やりたかったイベントを中止せざるを得なくなり無念が募る(いずれ何らかの形で必ずや…)。米津玄師ライブ参加!!アートですアート。

 

■10月:組織開発の実践者養成講座2022年度分を開催スタート。10月中旬ごろからすごく体調が悪い、落ち込みが激しく、だいぶつらい。そんな中での第4回ライトニングトーク、司会も場作りもがんばったと思う一年で精神的に最もつらくそんな中でよく耐えた期間。

 

■11月:事業部の組織開発支援2回目で新潟出張。仕事のやり方・あり方を問われる出来事がありしんどい思いも。チームコーチング型づくり佳境。サイボウズDAYSイベントで実況しまくり応援。11月末から連続週末イベントにより、休みなしの日々。体力的につらい。

 

■12月:11/281週間に渡り「風土改革フェス」開催。楽しかったー!持ち寄りで作るスタイル。社内でコーチングコース開催、新しい風の始まり。サイボウズ記事でK2特集、自己開示や悩みにも反響いただき嬉しい。

https://teamwork.cybozu.co.jp/report/panasonic-k2-2.html

 

<総評>

総じて、独り立ちであり自走があちこちでできたのでは、という年。新しいことへのトライもたくさんした。道のりチャート(人生曲線)として描くと、私の描き方だと「落ち込んだ時にマイナスになる」けど、一年を通して眺めると右肩上がりだなと感じる。

 

双極性障害という特性も、夏頃から受け入れられるようになった。そう、これも私の「私らしさ」の一つだと感じる。

 

あなたにはあなたの課題があり、私には私の課題がある。これを改めて心に刻んだ年でもある。

 

年初に「流」という漢字を掲げていたけれど、果たしてどうだったろうか。

 

流れるものは流れるように、滞りを無くし、

流れに乗るときは素直に乗り、

流れに逆らわず楽しんでいく

 

これが出来ていたかなぁ逆らわずに、受け止めつつ流しつつ、は出来てたかもしれないなぁ。

 

年末に振り返った漢字は「嵐」でした。風を起こしつつ、嵐にも翻弄された感覚。

風と土、風土や文化に働きかける活動を引き続きやっていきたいなと思います。

 

Az (あず)

ふりかえり2021年


2021年ふりかえり

■1月: 2020年後半(いや、その前からずっとやな…)の多忙に加えて2020年12月からの体調不良が落ち着かず、心も落ち込みがちに。年明け、仕事が始まる前にオット氏が「仕事を辞めたい」と漏らす。オット氏の方がヤバそうで、慌てて心療内科を探す。あちこち電話した…ついでにオイラも受診することにして2人分を予約。

オット氏はうつで「1ヶ月休職」と診断書を書かれていた。同日に受診したオイラもうつと診断されて「定時時間内勤務」にトライするも速攻無理で再受診、休職することに。この時点で私の診断書の期間は3ヶ月。


すべてをキャンセルさせて頂いた、本当に各所にご迷惑をおかけして申し訳ないし、ご理解いただいて本当にありがたかった。今もまだいろいろ保留にさせてもらってるものがたくさんある。すみません&ありがとうございます。


いったん空っぽにすることは非常に大切だった。

枯渇していたエネルギーが徐々に充電されていくのを感じる日々。


大好きな組織開発の仕事なのに、めちゃくちゃイキイキいろいろやってたのに、と、落ち込んでしまったことに落ち込んだりもした。元々ワーカホリック気味なので蓄積された疲労もあったと思う。働き方改革を掲げた部署なのによろしくない働き方をしていた。

でも仕方ない、休むことは大事なのだ、と先人からの教えも聞かせてもらい、チームにすべてを任せて、泣く泣く休みに入った。


2月〜3月: ひたすら寝る、不安の波、自責とのたたかい。本は読めない、音楽も聞けない。指の運動だし、没頭できるのはいい、とジグソーパズルをひたすら組む。1000ピースを19枚仕上げる。もともとジグソーパズルは大好きだけど、指先の感覚だけに集中できるのも良かった。ものすごいペースでどんどん仕上げた、特に木の手触りが気に入り、すいばりが立ちそうだなと思いつつ、ひたすらポチって届き次第組み上げて、の繰り返し。泣きながら組んだこともある。ジグソーパズルは癒しでもあり、リハビリだったなと思う。


4月: 本が読めるようになってくる。復職が1ヶ月おあずけになりしょぼんとする。音楽リストを作って、近況報告がてら部署の人たちにメッセージと共に送る。


5月: 5月半ばに復職。待ってたよ、とあたたかく迎えられて泣く。

研修サポートから早速仕事を再開。割とフツーに仕事をしてしまう(ほんとはこれは良くない、もっとゆっくり・抑えめで始めるべきだった)(ついつい仕事しちゃうし、フツーに見えがちな私)。


4ヶ月ぶりに迎え入れられて、共に仕事をして、やっぱりこのチーム最高やなとしみじみ思う。やっと4人が揃ってここからやなー、などと思っていた。

が、復職2週間後に、チームメイト大西さんの退職意向を聞かされる。最高にして最濃のパートナーがいなくなるなんて…ショックが大きい。


6月: いろいろ話をしつつ模索する。何か変わるかもしれない、とにかく興味を持てることを、と文化創造にまつわる社内ラジオ(WILL、オープン、共創がテーマ)を大西さんと2人で開始。楽しい、楽しそう。今も続いてる。気楽で真面目な収録。


7月: 社内ラジオが楽しすぎて、個人ラジオも始める。こちらはstand.fmという一般アプリにて。これも楽しい。今も細々やっていて、ペースメーカーにもなっている。

AzのODチャンネル→ http://j.mp/AzODRadio


7月には久々の宿泊出張も。社内で「組織開発フォーラム」を開催。手作り感満載のイベント、濃密。事例動画作成も。グッとチカラコブ作る4人組。

ODチームとして社内向けインタビュー記事も作りました。組織開発の推進を熱く語る。

「日本の人事部」主催の「HRアワード」に組織開発として応募することを決める。


8月: 出張して対面ワークショップ、久々。各種の組織開発研修企画がスタート。同時進行でややこしくなる準備、受付などなど。


9月: 「双極性障害」と診断名が変わる。びっくり。何にしても病気との付き合い方を体得していくしかない。

「日本の人事部」主催の「HRアワード」入賞!!


10月: 社内のDEIフォーラムにて実況中継を担当。一日中、つぶやきまくり担当。

複数の組織開発研修が並行して走る、大忙しの始まり。


11月: 対面ワークショップが増えてくる。やっぱり対面だよなー、の実感。手応え。


12月: 研修三昧の日々もピーク。大忙し。

組織開発の始祖であり要である大西さんの「退職します」報告の入ったメルマガを発信、驚きの反響の数々。だよね…

と共に、総括イベントをやろう、と企画して1月に組織開発DAYをやることにする。詳細を鋭意検討中。

組織内チームコーチング(CRRシステムコーチング応用コース)課程を修了する。ペンちゃんズという仲間を得た。


*オット氏も徐々に元気になってきております。

*チビーズがすくすく元気なのはほんとにありがたいことです。


この一年を通じて学んだこと…2つ。

・ムリすんな。60〜70%の出力でおけ。

・今しんどくても必ず元気になる。(ただししっかり休もう)


みなみなさまもほんまムリせずで!!



ふりかえり2019: 2019年よかったこと・成長したこと

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ブログもほんと書けてないドタバタの日々だけど、2019年の年末にFacebookに投稿したふりかえりは書き留めておきたい。
というわけで下記、超・個人目線のふりかえり。

■2019年よかったこと・成長したこと
★自分に自信を持てるようになった。そのまんまの自分が一番いい、そのまんまの自分で発揮する、トライする、リカバリする、やり続ける。これらへの腹落ちと実践。
「Self-Acceptance 自己受容」と、そこからの「Self-Authority」。まずは自分で自分にOKを出せること、が何より大切だと体感した。
 
▼走馬灯的ふりかえり
・2019/1 マイコーチを付け始めた。モンモンとしていることを語るところからスタート→1年で大きく変化したとコメントをもらう。大切な伴走とダイブのマイファーストコーチ
・2019/2 CTIコーチング応用コース、シナジー修了。直後に、NCRW(*)ってほんとのところ何ぞや、という新たな問いを得る。等身大シナジー仲間と、考察と内省のやりとり
    *NCRW = People are Naturally Creative Resourceful and Whole 
    「人はもともと創造力と才知にあふれ欠けるところのない存在である」という考え方
・2019/3 CTIリーダーシッププログラム(内省修行)第1回山ごもり。最初のトライ。自分の芯の確認ができた。濃い濃い仲間たちとの出会い
・2019/4 基幹職新任研修、工場合宿など、自分より上位職位への組織開発コーリードにどっぷり浸かった。初企画のODP(職場ODプラクティショナー養成)第1期募集開始!
・2019/5 工場幹部へのCTIワークショップなど、いろいろな組み合わせでの推進
・2019/6 ODP第1期開講! アツい仲間たち。ひとりじゃない、ひとりにならない。RPG(セカオワ)がテーマ曲。山ごもり2回目、ひとりでやらない方が進む、という気づきを得た。深い深い愛を知る
・2019/7 K2プロジェクト(社外との新取り組み!)第1回! 社内外を問わず、ともに悩み創っていけるチーム。開発センター合宿やあちこち事業場への組織開発支援。さらにどっぷりコーリードの日々。“箱本”で読書会開催at&with親キャリ、真摯で深いやりとり。リーダーシップのぶっちゃけコール、握り続けた誠実さ、ともに立ち続けた最愛のコーリーダー
・2019/8 怒涛の研修、最終日の濃密QAへの対応を全うできた。大切な友人との踏み込み合い、保留、再構築
・2019/9 ビジネスネームとして「礒貝(いそがい)」を使い始める(懐かしの旧姓ふたたび)。ティール組織のイベント参加。工場合宿、4人チームそれぞれのペア3組のコーリード発揮。サイコーのODチーム。山ごもり関連で、太陽の塔の下でワークショップ開催。強く柔らかなパートナーとのディープダイブ。山ごもり3回目、場を感じることへの学び
・2019/10 新規事業開発センター責任者チームミーティング開始。可能性を信じてどんどん踏み込んでいく(真っ最中)
・2019/11 ODP第2期スタート。社内広報やODP全体コラボなど、推進加速中。K2の社外報告開始。天職創造セミナーへの参加、新たな出会いと探究。終わりと始まりの意味を考える。山ごもり直前コール、自らの信じることに従って踏み込む、コーリーダーとのぶつかりと本気のフィードバック
・2019/12 事業部への全体作戦進行中。K2の社内一般公開スタート、転がり始め(と強く信じてる)。山ごもり最終回。新たな気づきの数々と、深い学びの確信。「そのまんまの自分で発揮する」ことが一番いい、と実感。ともに泥まみれになり、深く潜り続けた仲間たち。音楽と踊り、色、人の可能性を解き放つ新たな場づくりの開始。冬至に起きた新たなインプロダンスワークショップ

いろんなことが起こった、助けられた、たっぷり注いだ、どっぷり浸かれた、とても豊かな気持ちで締めくくる一年となりました。
2020年はさらに加速させたいな٩( ᐛ )و
よろしくお願いします!!

コーチングのクライアントさんも引き続き募集中です。過去のFacebook投稿をご参照ください。
ピンと来た方、気になる方、お気軽にメッセージどうぞ(^-^)

Azあず

振り返り2018

ひっさびさのブログです。メモ書いてみたので載せてみよう、て感じの。


年越しはジルベスターコンサート、カウントダウン観ながら、最後の最後のひっぱり具合の強引さに大爆笑する私たち…@夫氏実家。


おチビが大晦日の晩に吐き、

次男氏が元旦の明け方に吐く…

そんな2018→2019(・ω・)


(2人とも発熱もなく、朝になったらスッキリしてたけど)


元旦明け方4時過ぎから嘔吐処理した後、

布団の中で改めてざっくり振り返る2018年。


1月、新しい仕事への手挙げトライ(叶わず)

秋田旅行(こまちはやぶさ、雪遊び)

2月、仕事の模索いろいろ(あっちもこっちも大変)

もずふるマラソン(5km完走がんばた)

ブックホテル初体験(これはハマる)

ティール組織ソーシャルリーディング開始(U理論の懐かしき記憶)

秋に受けてた昇格試験合格連絡(遅ればせ)

体験コーチング(これがコーチングか!感)

3月、浅草おチビ旅行(ここでもブックホテル)

坊手術2回目(無事でほんとホッ)

新旧部署で大揉め(板挟みツラし)

4月、どん底気分続く

ティール&Bobさんイベント参加(鴨川よい…)

5月、宮崎旅行(カーフェリーを覚える)

コーチング講座中止連絡(全予定組み直し)

6月、函館旅行(雨、宿内の温泉に浸かる)

灰色な日々

7月、ゴースカ(スピッツライブ!)

コーチング講座受講開始(どん底だけど楽しい)

仙台ひとり旅(癒し…)

8月、面接と合格連絡

カメラを止めるな!(爆笑&号泣)

9月、福井旅行(恐竜博物館!)

コーチング講座どハマり(突き抜ける決意)

引き継ぎラスト日も監査という(ドタバタ

10月、異動(突っ走り開始)

組織開発の探究、ザ・ステーク(響く書籍たち)

自分の至らなさの痛烈さ(急に来たね月末イベント後にね)

11月、企画&ファシリデビュー2件(コーリード楽しい!)

12月、ナラティヴ・社会構成主義読書会開始(語りを考えたい)

葛藤も生まれる日々(コミュニケーションとは)

ボヘミアンラプソディ!(IMAXサイコー!号泣〜〜)


組織開発、コーチングとの出会い、

基本的にどん底で灰色の日々ながらも何とか生き延びられたこと、

とーちゃんの協力がありがたすぎること、

チビーズがなんだかんだと元気に育ってくれてること、

ほんとしあわせであります。


2018年はどん底からの激動でもあり、ようやくたどり着いた感もあり。やっぱりこのあたりなのね、興味って、という実感も。

今までの全部がつながったし、「そうとしか見えない」が実現したし、そしてここから、な感覚があって今後が楽しみでもある。

一方で、自分の課題や他者との食い違いと直面してのしんどさとか、未知の領域へのトライとか、これからやな〜。と改めて思う。


2019年は早速ドタバタしそうな予感もありつつ、

まずは年末年始をワイワイ過ごして、

備えたいなぁ٩( 'ω' )و


2018下期からは、どんどん「Work as Life」になっていってるな〜〜としみじみ感じてる(^-^)


☆金粉入り日本酒であけましておめでとう乾杯しました。


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